珍しくちょっと真面目な考察を。
アムステルダムで見る移民は祖国の文化を割と守ってるように見えます。
アラブ系の移民はブルカ(と呼ぶのかな?)を着ているし、
トルコ系の移民はトルコ式のスカーフの巻き方をしているし、
言葉もそのまま使っています。
(トルコ系の人はだいぶオランダ社会に馴染んで、オランダ語とトルコ語で生活しているみたいですが)
ドイツに行った時、トルコ系の人は「あ、トルコ人だ」とやっぱり分かりました。
ロシア人の友達が言っていたのは、
「ロシアにはたくさんの『国』がある」と。
ここでの『国』はおよそ『民族』と同じ意味で、ロシアという一つの国の中にも、
それぞれ独立したアイデンティティを持った民族がたくさんいるということだそうです。
そして、それぞれの民族は、全部混ざって中和した「ロシア人」になるのではなく、
ロシアのパスポートを持ったそれぞれの民族の人、という意識なのだそうです。
それは、現在に限ったことではなく、何世代もずっとそのようにして共存してきているのだそうです。
一方、アメリカは「ダイバーシティ」を非常に重視しますが、
例えば、私が知っている、アメリカに住んでいるトルコ人一家(2世が生まれたところかな)と
会った時思ったのは、
「みんなアメリカ人だ」
ということでした。なぜか、彼らからはトルコのにおいは全然しなかったです。
英語にはトルコ語のアクセントがあるのに。
このロシア人の友達も、
「ヨーロッパでは、移民は、移民した先でも元の国の民族のままだけど、
アメリカに移民すると、みんなアメリカ人になっちゃうんだよね」
と言っていました(彼とはアメリカで会いました)。
ヨーロッパも、アメリカとはまた別なやり方で、移民の地域なんだなと日々見ていて思います。
面白いですね。
乱暴な議論であることは自覚してますが、そのまま投稿してみます。
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オーストラリアには行ったことがないのですが、移民の多いオーストラリアでもやはり、移民は「オーストラリア人」になるのでしょうか・・
たかだか数百年の歴史と、千年(中国なんか五千年)の歴史の差は大きいですね
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1990年に開催されたイタリアでのワールドカップサッカーはワールドカップサッカーを開催するには最高の場所でこの最高の場所でやれるプレイヤーは気持ちがいいだろうとおもいました。
それぞれの小さい国が集まって出来た国イタリア、それゆえにこれほどまで世界中の人がイタリアの都市の名前を知ってる国はないでしょうね。
日本で知られてるのは東京と大阪ぐらいなものですからね。
そういう意味でヨーロッパというのはオセアニアや、アメリカなどの歴史の浅い国より遥かに興味もあり
他の国の人が絶対に乗り越えられない伝統があるようなきがします。